夏合宿 ホスピスにて

母は2013年1月24日の明け方、吐き気と腹痛に我慢が出来なくなり救急車で日赤に運ばれ、終末期を癌性腹膜炎による腸閉塞でそこの病院で治療を受けることになった。日赤では取り合えずポートを作り高濃度輸液をそこから流し栄養を確保、少しでもお腹が開通する為の処置を試みて下さった。
2月22日日赤を退院
同日聖ヨハネホスピス桜町へ転院となった。
母が希望していた所だった。
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そこで2月
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桜の3月
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4月
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5月、6月 ホスピスの素晴らしいケアーで容態が安定していました。
母の姉妹があの手この手で母を楽しくさせてくれています 母もなんといい笑顔

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7月に入って肝臓機能が悪くなり黄疸も出てきて意識が飛ぶようになって来ました。

ここからがホスピス夏合宿の本番です
ここ桜町ホスピスには付帯施設として患者の家族が寝泊り出来る部屋が2部屋用意されています。
ここで母を看取ろうと母の姉妹、親戚の姉、私の姉、そして私が出来る限りの状況で母に寄り添いました。
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この写真はホスピス生活の中で還暦を迎えた姉とそれをお祝いに参上してくれた親戚の兄きさん 母もお祝いに加わってくれました。

母は最期まで父に対しては可愛い妻でした。
昏睡状態の母に父が母の名前を呼ぶと目を開けて「はい」っと答えるんですよ。
これにはびっくりしました。父と母は年が離れているので最後までこんな関係だったんでしょうね。
お父さん,お母さんから「ありがとうございました」って沢山聞いたね。きっとお父さんが一番有難うを貰ったよ。

お世話になった叔母達、親戚の姉、母を看取ってあげられたのはあなた達が居てくれたお陰です。
泣いたり笑ったり、話し込んだり、7月に入ってからの母は自分の体が自由が利かなくなってしまいましたね。
それからというもの、いつも誰かしらが側に居て手や足、肩、腰などさすってくれましたね。
私も手の甲が赤くすりむけてしまったのも気が付かないほど一生懸命さすり続けました。
皆、ベットの傍らで母をさすり続けていました。
親戚のお兄さんは毎日のように仕事帰り母の所へ来て気を送り続けてくれました。

勿論聖ヨハネホスピスのDR、看護士さん達の加護のもと疼痛コントロールも万全で全身浴は最後は意識が無いままでも入れていただきました。
痛みも無く綺麗で清潔なケアーを存分に提供して下さいました。

私は母の無くなる3日前に39度の熱が出てしまい、隣に付設している桜町病院のDRの診察を受ける事になってしまいましたが、次の日に基幹病院で診察、抗がん剤治療も無事終了して又母の元へ舞い戻った次第で。

本当にこんな体の弱い私が母を看取れたのはみんなのおかげ…

昏睡状態の母にせめて旅立つ時にさびしくない様にとただ ただ その一心で 祈り続けました。


そして8月4日21時10分 母は静かに息を引き取りました
その時は予期していたとは言え心が震えせめてお母さんに届いてと言わんばかりに「お母さんありがとう」って、それだけしか言えなくて…

母が私に残してくれた言葉 大切にするよ
「この子はなんでもしっかりと自分で出来る子です。」「宜しくお願いします。」<主人に今生の別れの挨拶で言った言葉です

私…
そんなに強くないのに…
母が言い切ってくれたので
そんな子になろうと思う…
子供じゃないのに母にとってはいつまでも子供なんだね

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