母 天に召されました

2013年 8月4日 23時10分
母は穏やかに流れる時間の中、天国へ召されました。

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2011年12月に腹部に腫瘤が見つかってから約一年八ヶ月の癌との闘いに終止符が打たれた。
若くして父と結婚、子供3人をもうけICUの図書館で定年まで働きその間MM卓球(武蔵野マダム)のまとめ役として癌に倒れるまで活躍、ゴルフも運動畑の父顔負けの腕のよさ、お茶や書道にも精通していて海外旅行も姉、私、主人が旅行業者だったこともあり父や友人達と良く行っていたね。

卵巣癌の手術に臨みその後の辛い抗がん剤治療にも耐えて良く頑張ったね
私は母がホスピスに入っている時、「抗がん剤治療をどう思う?」って聞いてみたことがある
母は一言一言かみ締めながら「抗がん剤治療をすれば治ると思ったのでしたよ」
 「でも 治らなかった」「高齢の私には大変な治療だった」「こんな風になるのが分かっていたのならば抗がん剤治療をやらないで心身元気な姿のまま終わりたかった」
「でもあなたは若いし最後まで諦めないで抗がん剤治療をして欲しい」<母の願い

<母のプライド>
薄れ行く意識の中で「私は3人の子供を育てました」
はっきり噛み締めるように一言 一言…
母としての一番のプライドだったんだね。
皆も看護師さんもしっかり聞いていたよ

<母の闘病日誌>の中から

2月1日 80歳の誕生日
早くKAZUNORIからメッセージメールが届く
パパ、YAYOEからも届く、SAKAEにTELした所
YOCYANが上京したとの事、会うのが楽しみです。
9:30 先生回診 腸をやわらかくするため漢方を使ってみましょう
来週からのようである シーツの交換
オナラ3回弱々しくも出た
YOSHIE, ETUKO, YAYOEが見える
同じ時間になったとはラッキー
YOSHIEとETUKOから寄せ書きのカードと
生花の加工品の飾り皿を貰う
SYUKOさんのメッセージに気づかず遅れてメールを返す。 すまなかったです。
二人とも私を見舞ってからNORIKOの所へ行く予定でいたがパパをみて欲しいので家へ向ってもらった。

2月2日
YUKI一家、MASAKI,MAIちゃんが来てくれた。
NAOちゃんの可愛らしさ、RUIちゃんのお兄ちゃんがり こうして命が続いていくのだとしみじみ感じた。
沢山の化粧品をいただき
NORIKOからも素晴らしい化粧品をもらう
退院して三人でいろいろ話しながら使える日を待って楽しみにしている
YUKI達からは素晴らしい飾り花を頂く
帰りパパに会いに寄り、それから東医に行ったようだ
NORIKOとメールで話した どうにか元気になって欲しい ITOI先生におねがいするしかない
よろしく頼みます
4月中旬の陽気とか


膵臓癌になって母よりは先に逝くことはできないと心に決め頑張ってきました。
この手で母の最期を看取り
母の後姿をしっかりと目に焼き付けることが出来ました。
母がホスピスで「頑張れる分だけ頑張る」
「だからNORIKOも頑張れる分だけ 頑張れ」って励まし続けてくれました。
そして昏睡状態に入っても母は8日間最期に「ありがとう」を言うまで頑張ってくれました。
ホスピスの奇跡とまで言われる頑張りでした。

私が三途の川を渡りそうになったらそこで待っていて追い返してくれる約束をしました。

ありがとうございます おかあさん


           最後に聖ヨハネホスピスの皆様 お世話になりました

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